CEUを巡って

本鼎談はCEU(Central European University)を巡る様々な行政処分がプロセスとして進行していく中でCEUに所属しているNさんを中心に政治思想史を専門としつつ日本の地方行政やNPOについても分析や実践を重ねるIさんを迎え、速記も務めたKがモデレーターという立場で参加したものである。

当時の状況からCEUを巡る状況はもちろんのこと中東欧の情勢も大きく動いてしまったことは事実だが記録としてここに公開する。


はじめに

K: 今回は現在のCEU情勢を巡る基本的な状況と情報の整理、分析、そして議論を政治思想史がご専門のIさん、そして現在CEU、中央ヨーロッパ大学に所属しながら歴史学を研究しているNさん、仲介役として私Kの三人で行っていければと思っております。

N: 今回の議論は前回のヒロ・ヒライさんとの対話からの連続となっておりまして。対話の動画はリンクを提示しておきますのでお時間ある方は参考になさってください。今回も同じ話題、つまりは私も所属しているハンガリーのCEU、Central European Universityが置かれている難局に関する話題です。最近(対話が行われた当時:)NHKや産経など日本の新聞でも「ジョージ・ソロスの大学閉鎖か」といった見出しでカバーされだしましたが、この閉鎖を巡る騒動というのは経営難といった経済的事情によるものではなく、政治的なプロセスの帰結として認可取り消しが動き出したということ、つまりは純粋に政治的な行政処分の問題であるということをまず指摘しておきます。それでは流れについて簡単に整理しておきたいと思います。(~)。といった流れです。

K: Nさんの現在の立場、ある意味では当事者的な状況から発せられる考えについてはこれから討論の中で詳細に語られてくるはずです。では次にCEU問題の発生当初からNさんと情報を共有しつつ関心を抱かれてきたIさんにまずは関心の所在からお話いただければと思います。

I: この件はいわゆる先進国一般のどこの国でも起こりうることなのだろうなと思って関心を抱いてきました。最近のタームでいうと「反知性主義」とか「ポピュリズム」と呼ばれる現象がマスメディアや雑誌などで取りざたされておりますが、そうした現象からとらえ直してみないとハンガリー特殊の事情に矮小化されてしまうのではないか、より幅広い文脈からアプローチして重層的にとらえるべき問題と考えております。そのためにまずはこのテーマを支えているもう一つの大きな流れとしてヨーロッパのいわゆる右傾化と呼ばれる流れを押さえておくべきだと私は考えます。特にその点に関して日本で一番ヴィヴィッドに反応してきたのが憲法学者です。ハンガリー政府は2010年の国会選挙の後に11年に憲法改正をやる。それが立憲主義の観点からは許容できないものだとしてEUのヨーロッパコミッションにおける東欧の民主化プロセスのお目付け役を果たしてきた機関から訂正や修正の勧告を逐一受けています。「近代憲法とはいえない」といえば簡単ですが、より具体的には法律として制定すればいいことをわざと憲法内に制定することでいわゆる違憲審査ができないようにしている。そういう問題含みの憲法改正だったわけです。これに着目したのが水島朝穂さんと佐藤史人さんの「試練に立つ立憲主義?―2011年ハンガリー憲法の『衝撃』(1)」(『比較法学』46巻3号(2013年)39-83頁)です。これが一番早い反応だと思います。あるいは先日岩波で出た宮沢俊義『転回期の政治』(岩波書店/2017年)の解説において高見勝利さんがハンガリーについて言及している。この『転回期の政治』自体がナチズムに代表される民主制が独裁制へと転換していく過程の分析を当時の日本の政治体制を対象として行っている著作ですが、現代におけるハンガリーの事例にわざわざ触れています。これまではリベラルデモクラシー、つまり自由主義と民主主義というのは車の両輪だとみなされてきたわけですが、だんだんと非自由主義的な民主主義(illiberal democracy)が台頭してくる現象が歴史上においては何度もあり、今回のハンガリーの憲法改正の事例もその反復の一つとしてとらえられるのだと論じています。日本でも最近は特定秘密保護法や安保法制に関連して立憲主義というのが取りざたされるようになってきているわけですが(対談録音時:)、憲法学者においては少なくともハンガリーの憲法を巡る事態は立憲主義という視点からは問題含みである、異常であるとみなされているわけです。

K: CEU問題以前に現在のハンガリー政権が推し進めてきた政治改革や国のあり方の根幹となる憲法の改正といったアクションが立憲主義の観点ならびに憲法学において事例として注目を集めてきたというお話ですね。確かにCEU問題に具体的にアプローチしていく前に、冒頭でNさんが述べられたようにCEU問題なるものが「純粋に政治的な問題である」とするならば、CEUが埋め込まれているハンガリー政治の現在進行形こそをまずは確認することが極めて重要です。それでは実態はどうなっているのか。この点について改めてNさんにお話を伺いたいと思います。NさんはCEUに所属しており、今回のトピックのまさに当事者である。と同時にブダペストで生活を送っている日本人というハンガリー政治においてはある意味でアウトサイダー的な立ち位置でもあるわけですが、その二重の立場からみたとき現地の状況はどのように映っていますか。

N: 私は2012年からブダペストに滞在しています。現在のフィデス=ハンガリー市民同盟によるオルバン政権のヴィクトル・オルバン首相が2010年に政権に返り咲いて以降のハンガリーに留学しました。すでに当時から政権のあり方や国家運営の方向性あるいはメディアコントロール、締め付けですね、そういった状況に一定の不満が向けられていました。身の周りでも悲観的になり国外に可能性を求める人々がいました。ただその後の経過を見てきたのですがヨーロッパの他国と比較してもハンガリーでは目立ったデモによる意見表明は少ない印象です。例外は2013年にインターネット利用に税金をかけるという法案があり、それに対する50000から60000人規模のデモがあったくらいで。

I: 確かにハンガリーですと抵抗を目立ってするというよりは従っているフリをする、その限りにおいては権力側も侵入してこないというか、そういうある種の演劇性、お約束が政治文化に根付いている地域だと思いますので、大規模デモのようなものには結実しにくいのかもしれませんね。

N: 確かにハンガリーですと抵抗を目立ってするというよりは従っているフリをする、その限りにおいては権力側も侵入してこないというか、そういうある種の演劇性、お約束が政治文化に根付いている地域だと思いますので、大規模デモのようなものには結実しにくいのかもしれませんね。

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D'ailleurs, c'est toujours les autres qui meurent.

Last modified: Thu AUg 26 18:50:41 JST 2020